「仕事いきたくねぇなあ…もう会社のことで悩まないで生きていきたい…」
「定年までずっと、ただ土日を楽しみに生きていくだけの人生とかマジで耐えられそうにない。。」
「好きなことやゲームしてるだけで生活に全然こまらないくらいのお金が勝手に入ってくる人生にならないかなぁ…」
…1年以上前にわたしがブログをはじめた理由は、
誰が聞いてもあきれてしまうような考えがキッカケでした。
今回は当ブログ「ばにらのーと」の運営者であるわたくしエナの半生をふりかえりつつ、
ブログを始めた理由なども合わせてご紹介していきたいと思います。
目次
エナとはどんな人物?
名前 | エナ |
---|---|
年齢 | 30代 |
性別 | 男性 |
出身 | 北海道 |
好きなもの・趣味 | ゲーム、アニメ、マンガ、写真集閲覧(主に星空、風景、世界遺産、廃墟)、温泉、旅行、焼肉 |
好きなゲーム | ドラクエ、FF、テイルズ、ペルソナ、ゼルダ、ロックマン、キングダムハーツ、がんばれゴエモン |
特技 | 軟式テニス、数秘術(占い) |
好きなアーティスト | DEEN、BUMP OF CHICKEN、Superfly |
改めまして、ゆとり世代でもないのにゆとり全開のダメ人間ブロガーことエナです。
ゲームと焼肉が大好きです。
1980年代生まれの現在30代の男性。
顔はヒゲの生えていないビッグダディです。そのため、頭にタオルを巻いて外出したり、ニットの帽子をかぶって観光地へいくと
「あの!今日はロケの撮影で来たんですか!?」
「ビッグダディさんですよね?今って子供は何人くらいいるんですか?」
と聞かれます…(笑)
ビジュアル的な長所はありません…俺はこういう人間だ。
私は現在、この「ばにらのーと」を含む、2つのブログを運営しています。
特化ブログは運営者情報を当ブログとは異なるキャラクターにしているため、非公開としています。
ブログは副業。本業はリモートワーカー
わたしは副業ブロガーです。
本業はリモートワーカーで、とある会社で事務と営業の仕事をしています。
本業の仕事は内容は主に、伝票や注文書などの処理、提出書類の作成、品物や材料の発注、
取引先への定期訪問、販売促進などです。
営業先のお客さまは60歳を超えている方が多く、息子や孫のように可愛がってくれる方が多いため、
事務仕事が苦手なわたしでも、なんとかこの仕事を6年以上続けることできています。
リモートワークなので出勤しなくていい、という点も今の仕事を好きになれている大きな要因の1つですね(笑)
でも、わたしはぶっちゃけ「好きなことで稼いで生きていく」ということが目標なので、
ずっと企業に雇われているつもりはありません。
そのため、現在はサラリーマンとしてのメリットを受けつつ、副業ブログに力を注ぐというスタイルで生きています。
数々のブラック企業で心も体もボロボロになっていた日々
現在では、本業と副業のおかげで一般的なサラリーマン以上の収入を得て、
精神的にも金銭的にも満足できる日々を過ごせるようになったエナですが、
数年前までは、超ブラック企業の200時間を超える悪魔のような勤務時間によって身も心もボロボロになり、生きることにすら大きな苦痛を感じながら過ごしていました。
時間的な余裕は一切なかったので、誘いを毎回断っているうちに仲の良かった人との交流も途絶えてしまい、孤立。
人生になんの楽しみも感じられない、どん底とも言える状態に陥りました。
高校卒業後、進学をせずに就職をしたものの、仕事がなかなか続かず。
30代の2020年現在に至るまでの転職回数は5回、合計6つの職場を転々としてきました。
1つの職場で5年より長く働いたことはありません。
わたしのキャリアの中でもっとも長く続いたのが上記のブラック企業でした。
「ブラック企業を抜け出すために仕事を変える」という選択をすることもできたと思いますが、
「仕事はイヤじゃないけど、職場にイヤな人間がいる」という理由や、
「仕事が自分に合わないと感じると辞めてしまう」というタイプだった私が唯一、
長続きできた会社でもあったため、わたしは転職という選択肢を選ぶことができませんでした。
毎日どうしようもない不安や悲しみに苦しみながら、
心がすり減っていくことにただじっと耐えているだけでした。
あのままだったらわたしはたぶん、もうこの世にはいなかったのではないかと思います。
わたしの人生を救ってくれたのは「ブログ」だった
意を決してブラック企業を抜け出すことでき、
自分に合っていると感じた職場にめぐり会うことができたものの、
気付けばもう年齢は30代に。
「得意なことも無く、経験を積み上げていない」ということに対して大きな焦りや不安を感じるようになっていました。
「何の取り柄もない自分でも人生を切り開けるものは何だろう?」
そんなことを考えながら行動し、たどり着いたのが「ブログ」です。
そして、こんなどうしようもないダメ人間であるわたしの人生を救ってくれたのも「ブログ」でした。
ブログに出会えたことでわたしの人生は大きく変わり、
収入も2倍ほどに増え、物事に対する見え方や考え方も劇的に変化しました。
わたし自身、大した才能などもまったく無く、
経験したことのない物事に対して必要以上に臆病で、
自分自身でも呆れてしまうようなダメ人間だったんです。
そんなダメ人間だったわたしでも、ブログを始めて1年ほどで
収入面だけでなく、性格的な部分も大きく変えることができました。
この経験を通して言えることは、
「人間は短期間でも大きく変わることができる」ということです。
ブログを始める前のわたしのように仕事や人生に悩み、苦しんでいる人が
「1日でも早く自分らしく自由に生きてほしい」
わたしのそんな一方的な願いをかなえるため、わたしはこの「ばにらのーと」を書き続けています。
運営者エナの半生
SNSなどであまり自分のことを語ることがないので、
この機会にわたしの半生などをご紹介していこうかと思います。
出生から小学生までのエナ
わたくしエナは、1980年代に北海道の田舎町に生まれました。
わたしには姉が1人いて、わたしが2歳だった頃、
姉とファミリーコンピューターの「スーパーマリオブラザーズ」で遊んだことがキッカケとなり、ゲームで遊ぶことが大好きになりました。
まったく人見知りをせず、いつもニコニコしていた子供だったため、周りの大人からは可愛がられていました。
しかし、少し変わった感性を持っていたらしく、
保育所の七夕祭りで短冊に書いた「将来なりたいものベスト3」は
1:「ロックマン」
2:「金色の折り紙」
3:「ペコちゃんのペロペロキャンディー(イチゴ味)」
となっていました…どこへ向かっていたんだわたしは。。
幼少期は風呂無しのアパートに住み、河川敷に「食べられる野草」を探しに行かなければならないほど貧乏でした。
しかし、家族とファミコンで遊んだり、銭湯に行くといった楽しみがあったので、
ツライと感じたことはなく、わたしはとてもしあわせな時間を過ごせていました。
小学生の頃は内向的ではあったものの、ゲームとアニメが好きな普通の少年でした。
しかし、得意なことは1つもなく、勉強の成績は5段階中ほぼすべての評価が2という
何をやらせても普通以下の能力でした。
この頃から親は、わたしが何かにチャレンジしようとすると
「あんたは不器用だし、ドンくさいから無理だわ」という言葉をわたしに言うようになりました。
「親ですら期待してくれないのか…」という悲しい感情はコンプレックスとなり、
新しい物事へ挑戦する際に、いつも頭にまとわりつく過度な恐怖へと変わりましたね…
高学年になると、からかわれていた友達を助けたことがキッカケとなり、
わたしはイジメられるようになりました。
「靴や、ノートや筆箱などの持ち物を隠される」
「違う階の特別教室(理科室や家庭科室)に教室で使っている自分の机とイスを隠される」
「トイレ掃除の際にホースで水をかけられる」
という嫌がらせを日常茶飯事のように受けていましたね。。
母親に心配をかけたくなかったので、イジメ受けていることを隠しながら小学校生活を過ごしました。
この経験は大人になった今でもツライ記憶として残っていますが、
「他人の痛み」に対して深く考えるようになった良いキッカケとなりました。
部活に明け暮れた中学・高校時代
運動オンチであきらかに文科系だったにもかかわらず、
中学ではソフトテニス部に所属していました。
わたしの通っていた中学はソフトテニスの名門だったため、
部活は雨の日以外ほぼ毎日あり、メニューはかなりハード。
運動オンチだったわたしは入部して1週間くらいでもう部活がイヤになっていました。
ソフトテニスのセンスは微塵も無かったので、1年生の頃は全く結果が残せませんでしたが、
監督の丁寧な指導と「センスが無いってわかってるんだから、人より努力するしかないな」という、わたしの開き直りが功を奏し、
気付けば個人で優勝したり、全道大会へ出場するほどの選手へと成長していました。
「あんたは不器用だし、ドンくさいから無理だわ」と昔から親に言われ続けたことによる、
「挑戦へのコンプレックス」は、部活の実績によって完全に克服。
それと同時に、
「自分より長く生きている人の言うことが必ずしも、正しいとは限らない」
という考えを持つようになりました。
部活に全力を注いでいたため、勉強の成績は全て「2」という壊滅的な状態に…
高校は道内の公立高校に通っていました。高校では中学と同様、ソフトテニス部に所属。
部活では、全道大会に何度も出場し、
とある管内の代表選手として選ばれ、ソフトテニスの甲子園と呼ばれる「ハイスクールジャパンカップ」にも出場。
日本代表選手との試合も経験させていただきました。
が、ソフトテニス以外のスポーツに関しては相変わらず運動オンチのまま…(笑)
高校時代はビジュアルがビッグダディではなく、ソフトテニスによって体がマッチョになっていたため、恋愛も普通に経験していました。
部活ばかり優先していたので、ほとんどフラれていましたけどね…(笑)
部活の成績が良かったため、大学への推薦入学の話も学校側からもらっていましたが、
家庭の事情により大学への進学は断念。就職の道へと進むことになりました。
基本的には部活中心の学校生活でしたが、
自分に自信が持てるような経験がたくさんできた、最高の青春時代だったと思います。
就職で身も心もボロボロに。
わたしは卒業後、環境維持や廃棄物の処理などに関連する企業に就職することができました。
しかし、人間関係が上手くいかず、重度の不眠症に。
「会社を辞めたい…」
わたしはそうすることを望んでいましたが、
「会社を辞めたいなんて言ったら、きっとウチの親はガッカリするよな…」
そんな思いがいつも頭をよぎっていたため、辞めることはできませんでした。
効き目の強い睡眠薬を飲み、なんとか1日に2時間ほどの睡眠をとって仕事に行っていました。
そんな生活が2ヶ月続いたころ、とうとう睡眠薬を飲んでも眠ることができなくなり、
自分の身体が思うように動かなくなるという事態に。
心身ともに疲れ果ててしまい、働くことができなくなったわたしは、就職してから約5か月で会社を退職。
それから数ヶ月間の間、心療内科に通院することになりました。
5か月間のニート生活からの脱却
体調が完全に回復するまでには4か月かかり、その間、わたしはニートに。
好きな時に買い物に行き、好きな時に自分の好きなゲームをしていました。
しかし、楽しいのは最初だけで、バリバリ働いている友達を見かけるたびに
「自分の時間は止まり、周りに置いていかれている」という気持ちに。
この頃は常に焦りと不安を感じていましたね。
なんだかんだで5か月間ほど、ニートをしていました。
まだ仕事での人間関係に対する恐怖はありましたが、貯金も底を尽きそうになっていたので
わたしは派遣会社に登録し、工場で働くことに。
黙々と同じ作業を繰り返すだけの仕事内容でしたが、それがわたしに合っており、
派遣先の同僚とも仲良くできていたので、とても活き活きと働くことができましたね。
仕事ぶりが認められたわたしは、派遣先の会社に契約社員として入社。
この会社こそが冒頭の話の中にでてきた「200時間を超える時間外労働を4か月間させられた会社」です(笑)
その企業は、5年間働いた後に退職。
その後は、様々な会社を転々とし、今現在のリモートワークの仕事に落ち着くこととなりました。
冒頭でも書いていますが、社会人になってから5回も転職し、ようやく自分らしく働ける環境を見つけることができました…
ブログは生き方を変え、幸せを与えてくれる
わたしのプロフィールや半生を読んでくださった方は、
わたしがどれほどのダメ人間なのか、知ることができたと思います。
イヤなことからすぐに逃げ出し、ニートになっても焦りもせずにゲーム三昧。
目標も無くただ漠然と生きてきたくせに、将来のことを考えて焦り、ビビる。
そんなどうしようもないダメ人間のわたしですが、ブログと出会ったことによって
「今やりたいこと」
「これからやりたいこと」
「良き理解者」
「叶えたい夢」
「好きなことを楽しむためのお金」
これだけ多くのものを手にすることができました。
「仕事に行くのがつらい…」
「好きなことをして自分らしく生きていきたい」
「自由な時間がもっと欲しい」
そんな悩みを抱える人の手助けをするため、これからも当ブログ「ばにらのーと」を書き続けていこうと思います。
こんなしょうもない長文を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
なんて思わないでね…
またなにか新たな出来事が起こったら追記していきます。
以上、ゆとり思考全開のダメ人間ブロガー、エナ(@kii_ena)でした!